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【1995/平成7年】
英語も話せないのにNYに長期滞在したころ、セントラルパークでボーっとするのが日課でした。いつものベンチでジョギングをする人を見ていると、いつも誰かしら声をかけてきます。でも、私の英語が片言だとわかるとすごくがっかりした顔でその場を立ち去ります。私のいつものベンチの向かいに座っている人が毎日ちらちらとこちらを見ているけど、もうコミュニケーションがうまくいかないと知っているから声はかけてきません。でも、毎日見る顔なので私はなんとなく知り合いになったつもりでいました。NYを去る前日、もうここには来ないことを伝えたいのだけど伝える勇気がない・・もどかしい思いをしていました。その日はいつもの日本製のたばこをやめてその人の吸っているUSA製のたばこを買って、無言で1本渡してみました。すると、その人はとても残念そうな顔で私を見ました。きっと「明日帰る」ということが通じたのだと思い、隣に座って無言でいっぷくしました。今、私の英語は上達してコミュニケーションは困らなくなったけど、あの時のタバコが取り持ってくれた無言の会話は、言葉はなくても通じあえると初心に帰らせてくれる忘れられない思い出です。
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