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【1970/昭和45年】
大阪万国博覧会
私が中学生の時です。当時家は商売をしていて資金繰りが苦しくなってきたのが子供心にもわかってきたころです。両親の仲も険悪で、家庭はいつこわれてもおかしくないとまで考えた(子供心に)毎日でした。どうやったら両親が仲良くなるだろうか。以前のように笑って暮らせるだろうか。私にできることはできるだけ明るくふるまうこと、毎日父親に思いっきりの笑顔で、「行ってきまーす。」と声を掛け学校に出かけました。いつも玄関の外でたばこをすっている父が、一瞬笑って「ああ、気をつけてな。」と言ってくれるのが、唯一の喜びでした。その後倒産し、両親と長いこと離れ離れで暮らす。という年月を得て、貧しくも家族が笑顔で暮らせる日々がもどりました。父はいつの日かたばこをやめていました。子供が独立して両親とも定年し、やっとゆっくり暮らし始めた矢先、あの阪神大震災で、父は亡くなりました。兄が棺に入れたのは、たばこでした。なぜ父がたばこをやめたのか、私にはわかりません。でも父はきっと死ぬまでたばこが好きだったのだろうと思います。
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