1976-1965 昭和50年代
おつかいと言えばたばこ。ささやかなお駄賃がシアワセだった頃

「あなたのたばこの思い出」入選受賞
【1984/昭和59年】
中森明菜が全盛期でハチトラのカラオケでよく歌っていました。
20歳の夏、自動車学校の先生に恋をしました。淡くてせつない恋・・。先生は父親ほど歳が離れていて、家族があります。プラトニックで純情な思いは『憧れ』のまま、形になることは許されなかったのです。やがて卒業の時を迎え、若い情熱を胸に秘めたまま、私は先生にお世話になったお礼を言いました。明日からはもう顔を見ることも、声を聞くことも出来ないのです。「先生、先生の煙草、ひと箱、私に記念にください」精一杯、胸の動悸を堪えて言いました。先生は何も聞かず、笑ってそれをくれました。あれからどれほどの時が流れたでしょう。時を経て錆びついた缶ケースの中には、ボロボロになった煙草が封を切られないまま、今でも入っています。まだJTに変わる前の古い古い煙草が・・。私の青春のほろ苦い思い出と一緒に・・。
[30代/女性/北海道]
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